園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第18回 「日本の家族との繋がり、絆」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)

昨年の1月、私の祖母が101歳と言う大往生で他界した。今年は1周忌にあたる。祖母の最後には残念ながら会えなかったが、子供の頃からの祖母との想い出がまるで走馬灯の様に蘇って来る。祖母は結婚し、私の母が1歳の頃に連れ合いを病気のため若くに亡くし、戦時中を乗り越え、ビジネスを手がけ女手一人で母を育てて来た。戦争を繰り返していた日本の最悪の時期に生き抜いて来た彼女の人生とはなんであったのだろうか。私は祖母の事を全く知らずにいた気がする。私自身もっともっと、祖母と話しがしたかった。日本にいれば、もっと身近な存在で話しが出来ただろう。
それは、今の私と母との関係も同じ事が言えるのではないか…そう考え始めている。文明の利器のお陰で、母とは毎日の様にフェイスブックやEメールなどを使い会話している。昔では考えられなかった『TV電話』で話す事もしばしば。日々の生活が手に取る様に分かり、本当にそばにいるかと錯覚すらしてしまいそうだ。しかしながら、実際、そばにいる訳ではないので実際の母の姿を理解するには難しい。

「風邪を引いた」「腰が痛くて大変」などと聞いても、その程度を把握するのは容易ではない。私に心配をかけまいとして、状態が死にそうに辛くてもそんな事は口が裂けても母は私には言わないだろう。
祖母が生きていた頃、帰国した私は年老いた母がさらに年老いた祖母を看ていた姿が焼き付いて頭から離れない。私がそばに住んでいたら、私が
手伝えたのにと思うと辛くて仕方なかった。たまにあった時くらい親孝行もしたいと常日頃思っているのに、たまに帰ると台風の目の様な存在になってしまう。短い滞在時間なので、バタバタと慌ただしくて、反って母の生活リズムを崩したり、迷惑をかけたりする事になる。しかし、それでも、何とか母と語り合う時間を持てたりすると母の苦労をしみじみ実感し、改めて母に感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。遠く海外に住んでいると、親の病気や死に目にも会えない、融通が利かないのが実状である。
だからこそ、読者の皆様には強くお願いしたい。短期間でも良いから、やはり元気な顔を見せるためにも帰れる時に一時帰国をして欲しい。そして何よりも、かわいい孫の顔を見せること。これは、電話でも良し、写真を送る事でも良し。とにかく関わる事である。それらは遠く離れて暮らす者の使命であり、何よりの親孝行だ。大切なのは気持ちなのだから。
健人が言葉を話せる様になってから、常に健人と共に日本には電話をする様にして来た。しかし、健人が小学校高学年になった頃からであろうか、私と一緒に電話をすることはなくなった。が、そんなある日、母から「最近は健人君の方がよく電話をくれる様になったよ。あんたもたまにはちゃんと電話して来てね。」と言われた事があり、驚いたと同時にとても嬉しく思った。私が言うから電話をするのではなく、自ら祖母を気遣い、毎週電話をかけている健人がいたのだ。良しも悪しきも、生活の中で子供は常に親の姿を見て成長しているのだと実感したのであった。きっとそれは、いつかまた自分に返って来るのであろう。
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。













