園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第27回 「母を思いて、、、」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)
先月9月の敬老の日に久々に日本の母と長電話をした。母は80歳近くだと言うのにインターネットのソーシャルネットーワークを独学で習得し、毎日たわいもない出来事や愛猫の写真をアップする、スーパーばあちゃんだ。それが、しばらくアップが見られない。 最近どうも体調が良くないとメールが来たのでとても心配していた。 故郷を離れて両親とすぐに会えない距離に住んでいる人は皆同じ思いであろうが、気になった時にさっと出向いて両親の様子を見られないもどかしさは何とも言えない。「ただ単に疲れているから…」と言う時に、「じゃ、ゆっくりして。買い物に行って来てあげるよ。」などの簡単な事も言えないし、出来ないのだから。
毎回、日本に帰る度、年老いてどんどん小さくなって行く母の姿を見ると、海外で好き勝手に生活している自分がいかに親不孝なのか思い知らされる。私がカナダに嫁いですぐに父が亡くなり、当たり前だった明るい母の生活は天と地の様に変わってしまったにも拘らず、私は側で何ひとつ母をサポートすら出来ずに年月だけが過ぎ去ってしまった。母の面倒は私が看ると亡き父と約束した事もあり、母の移民申請をし、長年掛けてやっとの事でめでたく2年前に移民権を手に入れた母。しかしながら、こちらでの生活を念頭に視察旅行に来てみたが、ただの旅行とこちらで生活する事は比べられない事が分かった。全く違う世界のこの土地で一から人生をスタートし直すには困難な問題が山の様にあり、母もこちらに移り住む事を躊躇した。やはり、母にとっては長年生まれ住んだ故郷が良いのだ。結局、母の老後の事は振り出しに戻ってしまった。
このように書いていると、2人はけんかすらしないとてつもなく仲の良い親子のようではあるが、母とこうして距離を置いているから良い様なもので、実は2人とも頑固で個性が強いのでしばらく一緒に居るとしょっちゅうぶつかるのだ(笑)でも、母と娘だからこそ言い合えるし、その後もなんとなくけろっとしているのも確か。本当はスープの冷めない距離で側に居てあげたいと思うのだが…今の段階では先の見通しは立っていない。
ただ今出来る唯一の小さな親孝行はこまめに連絡を取る事、これくらいであろうか。先日の電話でも「何をするのも面倒でねぇ…」と言う母のお尻を叩く形でソーシャルネットーワークにまた日々の事を掲載する様、促した。年がいくと孤立しがちになるが、どんな形であろうと社会と繋がっている事は大切である。母がネット上で友人達と繋がっている事で実際の生活にも活気が出て来るのは確かだ。そんな様子を見ると私もホッとし、母との繋りも深く感じ、嬉しく思うものだ。また、その先日の久々の長電話で実際に楽しそうに笑う母の声を聞くと一安心した。
万が一母に何かがあっても「もっと母と話をしておけば良かった、どんな思いで毎日過ごしていたのだろう、母は寂しくなかっただろうか…」などと言う後悔は決してしたくない。
子供が小さな家庭の読者の方々は日々忙しくてふと気がつくと一日が終わってしまう事だろう。 しかし、…今のご時世、インターネットの音声やビデオ通話もある事だし、メールで写真を送ってあげるのも良いだろう。小さくても出来る事からの親孝行はご両親が元気なうちに是非して頂きたい。子供の事を思う皆さんの気持ち同様、そのまま、ご両親もまた皆さんの事を思ってらっしゃるに違いないのだから。
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。