園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第22回 「特別なOnly One」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)
前回は、子供が成長するに連れ親と言うものは欲が出て、子供の存在そのものの有り難さを置き去りに、子供に必要以上の期待をしてしまうものだとお話しした。今回はその”世界に一つだけの花”に関連した内容を続けたいと思う。
昔、私がブログをしていた時、ある幼稚園や学校では運動会でも順位を決めない方針を取っている動きがあると言う記事を見たので、それって素敵だなぁ。と書いた所、ある一人の方がこう書かれた。「どんなにきれいごとを言っても結局社会に出れば競争社会であり、小さな頃から負けて悔しいけれど次は頑張る、と言う思いも子供には養って欲しい。順位を決めずにみんなが賞をもらっていたのでは子供のやる気を損なうのではないか」と。しかし、運動会とは得手不得手関係なく、子供達をひとくくりにして運動と言う分野で勝ち負けを競うから、ある意味非常に不公平な気がするのだ。
私は子供の頃から運動会が大好きだった。運動神経は悪くない方で、いつもリレーの選手に選ばれたりしていたので得意な分野を発揮できるからだ。しかし、運動が苦手な子にとっては苦痛極まりない行事であっただろう。もちろん、みな走るのが遅くても頑張れば良いと言うだろうが、徒競走などにコンプレックスを感じている子供もたくさんいるのは事実だ。親も手に汗かいて見守るしか無いだろう。しかし中には、団体で出来る組体操や踊りなど、皆で力を合わせて一つのものを作る競技は見ていて感動するし、私も大好きである。だから、順位などあえて必要ないのかもしれないと思ったのだ。皆、一人一人努力しているのだから、それに対して表彰してあげるべきなのだと思う。
子供は一人一人、全員、全く違う。ナーサリーで子供を見ていると個性の大切さをつくづく感じる。もちろん、ナーサリーでもゲーム感覚で競争をする。みな、キャーキャー言って盛り上がり、負けず嫌いな子供は涙を流して悔しがる光景も多々見られる。しかし、自分より小さな子に手加減したり、新しいお友達にわざと勝たせてあげたりする心優しい子もいる。運動が得意な子も入れば、音楽やお絵描きが得意な子だっている。特に何も得意でないが誰よりもお片付けが上手だったり、先生のお手伝いができたり、小さな年齢の子の面倒を見るのが得意だったり。そんな子達にだって賞をあげるべきだろう。クラスの中で1番、2番…の代わりに「お片付けが上手で賞」「お友達を笑わせたで賞」「はさみで切るのが上手で賞」など、個性豊かな子供達のための賞を全員にあげると、けらけら笑って手を叩いてみんな大喜びである。そう、1番にならなくても良いんだ。みんな、ただただ周りから認めてもらいたいのだ。お友達や先生や、そして一番大好きなお父さん、お母さん達から。
そんな親が、分かっているのについついしてしまうのが『子供同士を比べる事』。子供が小さなうちは、おしゃべりから始まりトイレトレーニング、大きくなってくるとひらがなやカタカナと言ったお勉強の進み具合等々….比べる対象は山のようにある。
子供は個性豊かな個人なのだから子供同士を比べて見ても仕方が無い。ましてや「XXチャンは出来るのにどうしてあなたは出来ないの」などと言った子供を悲しみのどん底に突き落とす様な一言も結構日常的に使われているものなのだ。子供にはその子の進み具合がある。他人と比べないで”その子の過去”を振り返ってその子の”今”と見比べてあげて欲しい。一ヶ月前は出来ていなかった事が今は出来ている、という事が必ずあるはず。それらを見つけて褒めてあげて欲しい。みな確実に成長しているはずである。
他人と比べる必要なんて無い。もともとが特別なOnly Oneなのだから!!
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。