園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第16回 「ボランティアの勧め」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)
ホームデイケアから始まり、かれこれ20年もの年月が経った。開所当時の子供達はどんどん成長し、高校生になった。3〜4年程前から夏休みを利用して、「ナーサリーでボランティアをしたい」とちらほら、一人、二人と訪ねて来てくれる様になり、今年の夏はなんと計8人もの卒園生達が戻って来て、ボランティアとしてナーサリーの手伝いをしてくれたのであった。その成長ぶりに驚かされるのはもちろん、しかしなおも、その子らしさが全く変わっていない性格を見ると、嬉しくてたまらない。また、こんなにも長い年月を経て、なおもナーサリーの存在を忘れずにいてくれるなどとは、感無量の思いである。
さて、このボランティアであるが、カナダのオンタリオ州では高校卒業までの間に必ず、40時間のボランティアをするという事がカリキュラムの中に含まれている。自分の興味のある事に挑戦する訳だが、社会の中に入って貢献する楽しみや苦労、そして今までした事のない様な体験も出来る。何とも素晴しいプログラムであろう。教室の中でただただ先生の話を聞き、机上論で物事を考える世界から外へ出るのだ。ちなみに健人は、中高生の間にナーサリーでのボランティア、並びに長年プレイして来たアイスホッケーのボランティアをした。
考えてみれば、子供の頃から、家庭内で小さな仕事を請け負うお手伝いも、そこに報酬が生まれない限りはボランティアと呼べるであろう。家庭内でのボランティアは、家族の一員としてその中で貢献する。家の手伝いや弟、妹の面倒を見る事だって立派なボランティアであろう。学校の中でも、クラスの中でも常にボランティアは必要であり、その役割は大きく、社会に出てその一員として貢献する手前の段階である。我が家でも、健人には昔から、また今に至ってもお小遣いの発生しない家庭内での手伝いは常に存在した。最初は頼んでいた事が、自ら進んで行う様になればそれはボランティアである。小さな頃は新聞やリサイクルボックスの取り入れから始まり、食後の食器洗い。少し大きくなれば芝刈りや雪掻きも彼の仕事になっていった。そして、してくれたあとに一言「ありがとうね!」と、感謝の気持ち、労いの気持ちを表す事によって、家族であろうと、いや、家族であるからこそ毎日の事になる訳であるから、お礼を交わす事でお互いが気持ち良く過ごせるのだ。どんな小さな事でも、してくれた事には感謝と労いの気持ちを表す。これから社会に出ていく上での第一歩である。
思えば、私がボランティアを始めたのは小学校の頃からである。カトリックの学校に通っていた事もあり、奉仕の精神について漠然とながらも学び、また、私の母が地域ボランティアに常に携わっていた事もあり、その姿を見て育った。奉仕の精神などはあまり理解していなかった様に思うが、唯一、誰かから「ありがとう!」「ご苦労さま」との声を書けられる事が嬉しくてボランティアに参加していた様に思う。
今に至ってもまさにそうだ。とにかく、皆で声を掛け合い「ありがとう」「ご苦労さま」を交わす事が嬉しくてボランティアをしていることもある。こうなると一種の自己満足なのかも知れないが、それでも良い。特に若い間のボランティアは学ぶ事が何より多いので、参加する事に意義がある。しかし、善意を持って自分は何かをしたいと思ってボランティアに参加した所で、自分に応用力がなかったり、知識がなかったりと自分の力不足で思う様に対応したり、活動出来ない事もあるかも知れない。ただ、それを知る事によって、次に活かされることも多々あるのだ。報酬関係の生じないボランティアであるからこそ許される事もある。自分探し、自分磨きには最適かも知れない。が、もちろん、ボランティアだから何もかもが許される訳ではない。秩序とマナーを守り、ボランティアする環境を把握・理解して応対する必要がある。
この夏、小学生のためのサマーキャンププログラムにボランティアに来てくれた卒園生が一言「子供の相手って、たいへん〜〜〜!!」私は即座に「何言ってるの!この前まであなたもあの一人だったのよ」(笑)。この様な何気ない会話が妙に嬉しく感じる。また、その横で9歳の男児卒園生が「あと5年くらいしたら、僕、ここに戻って来るから。池端先生、待っててね。」と。涙もろい私は声にならず、うれし涙が溢れ出て来たのは言うまでもない。
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。