園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第25回 「健人、日本語を学ぶ(前半)」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)
私は健人が日本語を学ぶ上で心に決めていた事がある。そのひとつは「健人が日本語を話せて良かったと思ってくれるような場を作る事」だった。
元々、日系三世の主人、マークは土曜日の日本語学校が大嫌いであった。なぜ日本語を学ばないといけないのか、日本語を話す事で何の意味(得)があるのか…が全く分からなかったと言う。確かに、ひらがなが読めたからと言って、その言葉の意味が分からなければ全く話にならない。毎週土曜日に現地校の友人達がスポーツしたり、バースデーパーティーに行ったりするのを、マークは横目で羨ましく見ていたと言う。多少日本語を学んだからと言っても、しばらくしたら全てを忘れてしまう…。モチベーションが上がる訳がない。
健人も同様に土曜日に日本語学校に通っていたが、クラスの中のほとんどが日本から来た日本人であり生きた日本語を話し、また、日本から最新流行の品々を土曜日に見せてくれたりしていたので、それだけで健人は学校へ行くのを楽しみにしていたものだ。当時大流行し始めたばかりのポケモンやベイブレード、遊戯王などはどれもカナダでも流行してたので、最先端を走っていた健人は鼻高々であった。そう言ったTVシリーズやマンガは日本語で全て見て、聞いて、読んでいたので、まさに日本語を学びたいと感じる醍醐味であったと言える。
健人は、小学校5年生の時と中学校1年生の時に日本の学校に3週間ずつ体験入学をした事がある。土曜日の日本語学校で算数•国語•理科•社会を日本の学校と同じレベルで習っていた事もあり、日本の学校へはすぐに馴染め、かけがえのない体験をする事も出来た。特に中学校には健人のナーサリー時代からの友人が同行して学校にも通ったので心強く、日本での友達の和も、より簡単に広がったのだと思う。
嬉しい事に『ナーサリーでの友達』と言うのは、それはそれは強く深い存在であると、多くの卒園児家族から度々聞く。親同士も仲良くなり、時間を見つけては一緒に過ごす事で子供達の日本語維持と向上に繋がるのだ。
また体験入学で日本の中学では、時期を狙って行ったと言う事もあるが、日本ならではの文化祭と体育祭に参加する事も出来た。クラスの仲間と練習を共にする事で、友人との間に強い絆も生まれたと健人は言う。
その友人達とは今も何らかの形で繋がっていると言う健人。日本から友達が何人か訪ねて来てくれた事もあり、また、日本に帰る度に「同窓会をしよう!」と言って集まってくれる。日本語が堪能であったからこそ出来たかけがえのない日本での友人達。そんな友人達と繋がっていたいからこそ、日本語をより一層学ぼうとして来た健人。
毎回日本から帰るごとに「日本語が話せて本当に良かった。」と嬉しそうに言う。
特に今はテクノロジーの進歩のお陰で、世界はうんと近くなっている。私もそうだったが、もちろん多くの人が目指す最初の目標は、”おじいちゃん、おばあちゃんと話す事”だと思う。今は、ネット上でソーシャルネットワークも広がっているし、インターネット電話サービスなどで生の画像を見ながら安価で世界中の人と話せるのだから、日本の家族だけでなく、世界中に友達を作って日本語で話す機会も出来る事だろう。
先日も嬉しそうに健人が言った。
「僕の日本の友達がトロントに遊びに来たいって言ってるんだけど、うちに泊まっても良いよね? あ、心配しなくても僕が観光案内とか全て面倒見るから大丈夫だよ。やっぱり、バイリンガルで良かったなぁ」と。
そうかい、そうかい…喜んでもらえて良かったよ。
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。