園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第17回 「クリスマスと宗教観」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)
このシーズンが来ると毎度のように使う言葉が「今年ももう最後の月…時間の経つのは何とも早いですね〜。」である。毎月毎月の行事や日程をこなしていく私どもの仕事はまさに時間と追いかけっこをしているかの様に感じる。ナーサリーでは特にハロウィンのあと、ほとんど間を持たずに冬の発表会の準備に入るので何とも忙しく(せわしく)感じる。12月は子供達も待ちに待ったホリデーシーズン。今でこそ私はこの様に”ホリデーシーズン”や”冬の発表会/ウインターコンサート”としているが、一昔前までは”クリスマスシーズン”クリスマスコンサート”と何の迷いもなく言っていた。
何しろ20数年前カナダに来た当時は、海外においてこのシーズン、クリスマス程賑やかで楽しいお祭り騒ぎの催し物はないだろうと、楽しみにしていたのだ。ところがどっこい、クリスマスシーズンはどのお店も会社もとにかく何もかもが閉まっていて、社会全体が、しーーーんと静まり返り、ゴーストタウンの様だった。積もり積もった雪だけがその静けさを倍増させる風景。日本では街全体がイルミネーションで飾られ、うるさい程お祭り騒ぎの人々で盛り上がり、一体何を祝っているのか分からぬ程とにかくワサワサとしているイメージがあったので、それ以上の賑わいを期待していた私は拍子抜けしてしまったのを覚えている。
日本では、クリスマスイヴと言えば、お付き合いをするカップル達にとって至上最大イベントであり、高級レストランを予約したり、特別イベントを企画したりするカップルも少なくない。その様なイメージが膨らむ私…。さて、当時マークと初めてのクリスマスを過ごす私は、ワクワクドキドキ!!どんなサプライズイベントがあるのかと楽しみにしていたのだ。…ところが、クリスマスイヴは何の変哲もない夜を過ごし、次の日のクリスマスは朝早くからマークの実家を訪ねた。大きなクリスマスツリーと、ディナーテーブルを昼間から囲み、家族全員が集まりハグし合い、食事し、共に時間を過ごすと言う形で祝うと言う、別の意味で何ともサプライズな、カナダ初めてのクリスマスを過ごしたのであった。家族みんなで楽しいひと時を過ごしたあと、これが真のクリスマスなのだとなんとなく実感した。私は12年間カトリックの教えの学校に通っていたにも拘らず”正しいクリスマスの過ごし方”すら、学んでいなかったのだ。
話しを元に戻すが…真のクリスマスについて目からウロコだった私は、その後も次々とこのシーズンの宗教に付いて学ぶ事になる。冒頭で話したクリスマスコンサート、このシーズンはあちらこちらで交わした「メリークリスマス!!」も、時と場合により「ハッピーホリデーズ」に変える事も出て来た。この世にはキリスト教だけではなく、ユダヤ教やイスラム教、モズラム教などなど…様々な宗教があるのであるから、このシーズン、クリスマスを祝うだけではないのだ。ここ、カナダでは様々な背景の国の人達、つまり、多くの国々の人達が生活し、文化、習慣、そしてその宗教を共存している訳である。人種の坩堝カナダ・トロントで行きていく以上、互いの国の文化を尊重していく上で、宗教が大きく関わっている事を見過ごすことはできない。
これは、人間個人の事も言えるだろう。表面だけを見て批評せず、相手を知ろうと努力する事。そして、相手を深く知る事によって、相手を理解し尊重する事。
国と国、人種と人種、宗教と宗教、それらを理解し、尊重すると言う事は個人と個人をも反映しているのではないだろうか。大人達一人一人がそのような態度を示す事によって、それが子供達に伝わり、その子供達の心はいずれ世界に広がっていくのだと思う。
最後に… 私が成人するまで何不自由なく私を大切に育ててくれた父は、17年前のクリスマスイヴの日にこの世を去った。日本中まるでばか騒ぎ、と言った賑わいの中、『父危篤』の知らせを聞き、病院に向かっていた。当時、ラジオから流れる楽しげな音楽さえも私たち家族には辛い記憶が残り、また悲しみに包まれた年末年始を過ごしたが、今となっては親の死に目に立ち会う事が出来ただけでも有り難いと思っている。世の中、不幸にも生き別れたり、死に目にも会えなかったり、家族が一つで過ごせない人も多いであろう。本当に今おかれている私の状況に心から感謝している。
TROJA読者の皆さま、良いお年をお過ごし下さいませ☆そして「Happy Holidays!!」
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。