園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第21回 「世界に一つだけの花」

20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。

文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)


ikebata04-2013健人は生まれて2年目で初めてスケート靴を履いた。マークが手を取り、何度も転びながらアイスの上をよたよた歩いた。3歳になるとスケートのレッスンに通い始めた。4歳の頃にはスケートが大好きで、自分ですいすい自由自在に滑れるようになっていた。5歳ではホッケーチームに入り、初めてホッケー防具に身を包まれ、こけても起き上がれず、大変な思いをして試合に臨んでいた。6歳ではチームのトッププレイヤーとなり、その後は負けず嫌いの彼の性格が後押しするようにどんどんとトップリーグのトッププレーヤーへと進み、親ばか炸裂も度を超え、このまま行けばNHLプレーヤーも夢ではないかも?などと冗談にも思ったりした。アリーナで新記録を作った事もあり、健人の嬉しそうな最高の笑顔を見る事でホッケーママとしての感無量の思いに溢れていた。

年を追うにつれ、健人はある種のプレッシャーと“体系の違い”に悩みを増していたのだと思う。何も気づかず、能天気な私はどんなスポーツも努力と気合い次第で乗り越えられると信じていた。元々小さな体系だった健人はティーンエイジャーになると、チーム内でも小さな方で、ますます体格の差が激しくなって来て、その事をコーチに言われる事も出て来た。そんな時、ぽつんと健人は私たちに漏らしたのだ。「レベルを下げてホッケーがしたい。だって、今はホッケーがちっとも楽しくないんだ。」と。私は「何をふざけた事言ってるの、今までこんなに頑張って来たんだから、これからも気合い入れて頑張れば大丈夫!何事も努力努力!!」などと励ましたと思っていたのが、実は逆効果になっていたのに気づいたのは随分後だった。

スケート靴を履いてヨチヨチアイスの上に立った健人を何とも愛おしく思い、ここまで成長してくれた事を有り難く思ったあの日…。スポーツ好きになってくれ、父と同じようにアイスホッケーを楽しむようになってくれて、ただただ嬉しく思ったあの日…。ホッケーを父と一緒にただエンジョイできる環境を与えてあげたかった。本当はそれだけで良かったのに…。
いつの頃からだろうか…うまくスケートが出来るようになったら、たくさんのゴールを得たり、誰よりも早く滑れる事などなどを喜び、 より高いレベルのチームに入いれるように家族で必死になってしまったのは…。私たち家族の中で一番大切に思っていたはずの、健康で運動が出来る事への『感謝の気持ち』がいつの間にか置き去りになってしまっていたのだ。
ホッケーの試合の直前に車の中で、健人がCDを出して来て「これ、日本の友達がくれたんだよ。すごく好きな歌だから聞いてみて。」と言って、アリーナへ去って行った。
試合までの間にかけたCDから流れて来たのは『世界に一つだけの花』であった。

…僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?
そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

流行っていたのも知っていたし、大好きな歌だったが、まさかこれが自分の息子の応援歌になっていたとは。いや、健人はそんなつもりはなかったのだと言う。しかし、これは私にとっては一生忘れられない日となり、今では有り難く思い、その気づきに感謝している。次の年、健人は希望通り一段階下のレベルのチームに入り、それはそれは楽しそうにホッケーを続けてくれた。そして夏の間だけだが、今では健人はマークとともに同じアダルトチームでプレイし続け、私もホッケーママを続けている。

私たちのもとに生まれて来てくれただけでも有り難く、嬉しく思う子供の存在。これ以上何を求めようとしているのか。親と言うのは何とも不思議な生き物である事に間違いない。


池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。