伝統の道を拓く③|金継ぎ開拓民のお茶休憩
唯一の金継ぎ師であるという事実は、平時であれば「何か古くて珍しいことをやってる人がいるみたい」くらいの立ち位置だったはずです。しかし、コロナ禍であるという状況がその存在感を急速に強めてゆきました。
当時、長期にわたるロックダウンによって人々の生活が一変し、別居する家族とは距離を置かざるを得ず、人間関係やコミュニティーも崩れていきました。閉ざされた家の中で人々が見つめるのは、指数関数的に増え続ける感染者数と、その後を追う死亡者数。現状の把握も未来の見通しもままならない中、世界中の人々が不安を抱えながら日々を過ごし、希望を見出せる言葉を探していました。 そして、そのうちのひとつがKintsugiでした。
多くの個人や団体がKintsugiの概念をSNSの投稿や広告、スピーチで紹介し、「この困難を乗り越えた先には、より美しく、より結束した未来がある」と伝えました。そのメッセージは、いくつかの国の放送局によって、東京オリンピックの解説にも用いられることになります。東京オリンピックは元々、東日本大震災からの復興の象徴となるはずでしたが、コロナの流行で一年延期となり、前代未聞のパンデミックからの回復への希望を込めたイベントへと変化していきました。
カナダの国営放送局CBCも、そのうちの一局でした。開会式で金継ぎについて紹介したいということでオンライン講義の依頼があり、拙いながらも英語で説明したものです。
その他にも、ロックダウンによってオンライン講義の需要が高まり、トロント近郊にとどまらず、カナダ国外の団体からも依頼を受けて金継ぎについて紹介するようになりました。
こうした機会はInstagramのライブを見てくださった方々との繋がりによって生まれたものですが、さらにコロナ禍をきっかけに金継ぎへの関心が世界的に高まったことで、より多くのお声がけを頂くようになったと感じています。
気づけば、あれよあれよという間に「金継ぎの第一人者」として扱われるようになってしまいました。そのため、「私が話すことや見せるものが、本物の金継ぎであるとして受け取られてしまう。発信するすべてに責任を持たなければならない」と自覚し、自戒する日々でもありました。
同時に、インターネット上でさまざまな情報にふれる中で、日本国外での“金継ぎ”の実践方法に対して、次第に危機感を覚えるようにもなったのです。









