本の持つ力を信じて書き続ける 作家 古川 日出男氏インタビュー [トロントを訪れた著名人]
デビューより数々の小説や戯曲を手がけ、過去には三島由紀夫賞の受賞歴を持つ作家、古川日出男氏。今回トロントへ6年ぶりに訪れた古川氏は、10月に行われたIFOA(International Festival of Authors)に出席。作品によりガラリと表情が変わる古川氏のユニークな作風と表現力の豊かさ、そして古川氏ならではの生き生きとしたダイナミックな朗読スタイルに魅了されるファンが後を絶たない。古川氏が本の執筆や朗読など、表現の世界で生き続けるその原動力に迫った。
小説家である古川さんが初めて表現の世界に触れたのは、いつ頃だったのでしょうか?
9歳離れた兄が高校卒業と同時に車の免許を取って、当時小学四年生だった僕を映画に連れて行ってくれるようになりました。田舎の映画館でしたが、兄が結婚するまでの三年間に膨大な量の映画を見ました。それが表現に触れた出発点だったかもしれません。
IFOAで朗読された『二〇〇二年のスロウ・ボート』は、村上春樹さん原作の『中国行きのスロウ・ボート』をトリビュートされた作品だと伺いました。執筆にあたり、どのような経緯があったのでしょうか?
現在の村上春樹さんの世界での評価などを別にして、日本のアカデミックな世界では21世紀になるまで、彼の作品がとても否定的に取られる時代が長く続いていました。好きな作家は村上さんだと口にすれば、周りが反対するような時代です。でも読んでみると面白い。彼の小説の主人公は、自分の人間性とは全く違うものなのに、読んでいるとその作品の主人公の目になり、その生きている世界を観察して、冒険して、その世界で歩む道を見つけようとする。つまり、自分がもう一人の別の人間になれるのです。それは小説の本当の力だと思います。この世間の流れを変えるには一体どうしたらいいのかと考えた時に、「いっその事、ミュージシャンのように村上さんの作品をトリビュートするのはどうか」と思い立ち、出版社を介して村上さんに手紙を書きました。その後、無事了承が得られたので、作品を書かせていただくことになったのです。
IFOAでは、日本語と英語をミックスさせたユニークな朗読をされていました。
最初のリクエストとしては、全員英語でやりましょうという話だったのですが、カナダに着いてから「IFOAはマルチカルチャーなイベントなのだから、無理やり英語だけで朗読する必要はないのでは?」という話が耳に入ってきました。かといって自分だけ日本語で披露してもいいのかなと、ずっと考えた挙句、英語だけでやりながら日本語も入ればいいのだろうというところに落ち着きました。当日の朝に決断し、「一番伝わりやすくするにはどうすれば良いか?」と何度も構成しながら、その日の夜までにはなんとか完成しましたね。
古川さんの朗読には、何か魂のようなものが感じられました。作家として朗読のイベントを積極的に行っている理由を教えてください。
昔は日本社会の中で、作家は偉い人たちだったと思います。しかし現代は「作家って、まだいたんですね。」と言われてしまう現実があるほど、本の影響力がなくなっている。そんな時だからこそ、体をさらして、ここに生きている小説家がいることを示さなければいけないと思うのです。これまでミュージシャンやダンサー、美術系の方とコラボレーションしたことがありますが、皆さんに面白いと言っていただける。自分が朗読をすることで、作家って面白い、捨て身で生きてるから寧ろ清々しいと思ってもらえるのなら、やり続けたいと思っています。
2006年には『LOVE』で第19回三島由紀夫賞を受賞されました。当時のお気持ちはいかがでしたか?
「三島由紀夫」って5文字じゃないですか。自分も「古川日出男」と5文字なので、5文字の時代が来たな、と(笑)。アジア人の名前でも5文字って文字数が多いですよね。その多さが「創作の動力源」みたく、1文字多い分、人よりも何かが出てしまうものになればいいのだろうと。これでもうちょっとギアを入れ直して書けるなと、あの瞬間思いました。
そして、昨年には2年の製作期間を経て、現代語訳版『平家物語』を刊行されました。
クリエイターが現代語訳をするのは、本当に大変な作業で、仮に「ここの部分が面白くないな」と思っても省略はできません。また、1日に訳せる原稿の枚数や納期を考えたりすると、小説とは書き方が全く違い、納入するための製品を作るような形になってしまう。でも、ここにもクリエーションできる部分があるはずだ、と書き始める直前まで考えていました。「ABC」=「A’B’C’」にするのは誰でもできる、そうじゃないことを小説家がやらなくてはいけない。「ABC」=「XYZ」だけど、中身は同じ。つまり平家物語の表向きの顔が変わるけど、読むと確かに平家物語を読んだことになるという作品を作ろうと考えたのです。また平家物語の登場人物は、ほとんど実在していた人々であり、彼らは作品の中で亡くなっている。名前だけだと登場人物は約1000人に上りますが、それを全員分供養すること、それはやり遂げたいと思っていました。
同作品は全て手書きで挑まれ、原稿用紙計1800枚にも上ったそうですが、なぜ手書きを選んだのですか?
登場人物が実際に生きていたという中で、作品内の名前こそが、彼らが本当に実在したという証明になります。それを自分の手を使って、省略せずに書くということが彼らの存在を証したて、手書きで名前を書くたびに、その人たちが生まれ直すのだと思いました。ほんの数秒の時間でいいから、その人たちに息を吹き返させることをしたかったのです。
これまで数多くの作品を手がけられている古川さんですが、インスピレーションの源はありますか?
昔はアイデアに対して肉食系で、どんどんアイデアを出してやろうという姿勢だったのですが、今は草食系で無理やりアイデアを出したくないと考えています。そうすると、全然関係ない時に突然何かが浮かんできて、そのまま10分ほどアイデアをメモしていることが多いですね。前のめりにならず、心を空っぽにした時の方が、方程式じゃない、自分でもびっくりするアイデアが来るような気がします。
今後の展望を教えてください。
文学の世界はどんどん小さくなっていく中、それを解消するよう「本は素晴らしいものだ」と言って教育に利用されるというところから一旦離れ、本を「危険なもの」にしたいです。一般の人は読まない、親も誰も勧めない、でも本を読むと自分で何かを理解する力が養われる。一人一人の人間が本当の意味で自分の意志で生きていける、そこに火をつける危ないものが本なんだというイメージに変えたいですね。言葉だけ聞くと誤解を生むかもしれませんが、例えば一冊の本で、世の中のテロ集団や何かに「世界はもっと複眼で見たほうがいいんだよ」と伝えられるような、それほど本は強くて危険なものなんだと思わせられる本を死ぬまで書いていきたいです。そこまで行けば本は本当の意味で役に立つものになると思います。小説や本が終わっていく世界の中で「本には強い力がある」という人たちとネットワークを組み、これから違う風景を築きあげられたらいいなというのが一番の夢ですね。
古川日出男
福島県出身。1998年に『13』で作家デビュー。2002年、『アラビアの夜の種族』で第55回日本推理作家協会賞、第23回日本SF大賞を受賞。その後20代より村上春樹氏に傾倒していた古川氏は、『村上春樹RMX』シリーズの発起人となり、若手作家らで村上作品をトリビュートした。2006年には『LOVE』で三島由紀夫賞受賞。小説以外にも戯曲の執筆や朗読イベントなどを精力的に手がけている。
TORJA編集部レポート
Author’s Talk
古川日出男氏による講演会 『武士たちの文学と現代の日本』 @ジャパンファウンデーション
IFOAでの朗読会に続き、10月26日、ジャパンファウンデーションにて古川日出男氏による講演会が行われた。冒頭挨拶ではジャパンファウンデーション清水優子所長より歓迎の挨拶が述べられ、来年でデビューより20年を迎える古川氏に対して祝いの言葉が送られた。古川氏は来場者に謝辞を述べ、この日のために作成したという講演原稿『武士たちの文学と現代の日本』を読み上げた。古川氏が手がけた『平家物語』の現代語訳版では、三段階文体が変化し、終盤の文体の変わり目となるのが、平家が滅びた数ヶ月後に起きた大地震の章である。作品内の死者数は、実はその1185年の大地震による被災者が一番多く、古川氏は彼らの魂を鎮める役を行ったと語る。そして自身が福島県出身の作家であったからこそ、魂たちの叫びをすくい上げ、武士たちの文学の代名詞である『平家物語』のストーリーを、内容はそのままに語り口を変えることのみで、反戦の物語に変えることができたとした。
その後は、『平家物語』の現代語訳を一部抜粋して朗読。平清盛が命を落とすシーンから始まり、生き生きとダイナミックな表現で読み進める古川氏。来場していたカナディアンたちは古川氏の朗読にすっかり入り込み、終了後は古川氏へ質問をしたり、感想を述べたりと交流を楽しむ様子が印象的であった。