vol.8|『鳥の心臓の夏』|翻訳の窓から – 書評で読む世界
ヴィクトリア・ロイド=バーロウの『鳥の心臓の夏』(上杉隼人訳、朝日新聞出版)はイギリス湖水地方を舞台にしたひと夏の出来事を、数年後に回想していく物語。語り手サンデーは自閉スペクトラム症(以下ASD)を抱えるシングルマザー。思春期の娘ドリーとのふたり暮らしだ。
鋭敏な感受性をもつサンデーはさまざまなルールを自分に課すことで、不要な刺激の多すぎるこの社会に適応しようとしてきた。成長した娘のドリーに自分の個性が疎まれだしているという自覚を持ちつつも、元夫の農場で園芸の仕事をしながら暮らしている。
そんなある日の朝、隣家の庭に見知らぬ美しい女性が大の字に横たわっていた。その人、ヴィータは、子どもがそのまま大きくなったような無防備さで、人付き合いが苦手なサンデーとの垣根をあっというまに飛び越えてくる。サンデーは、ヴィータとその夫ロールズとの友情を結んでいくが、ふたりにドリーを紹介したあたりから、その関係には微妙な変化が生まれてきて……。
サンデーの語りに何度も登場する「今思えば」という言葉。初読では気づきにくいが、その箇所を丁寧によりわけて読んでいくと、容赦のない事実が浮かびあがり背筋がぞくっとする。サンデーの特殊な感受性が可能にしている細かなタペストリーのような描写。そのひとつひとつの模様に初めは気を取られるのだが、後になって俯瞰して全体のテーマにやっと気づかされる。実は不穏な色が最初からあちこちに散りばめられているのだ。
作者バーロウはASDを抱えていることを公表している。バーロウのレンズを通して表現される世界は一段と解像度を増している。本作には人の業や悪意も描き込まれ、決して楽しい展開にはならない。だが、自分の個性に苦しみ、疎外感を感じてきたサンデーが、人が持ちうる暗い部分を知っても、そこから自分を力強く肯定していく過程には、静かな励ましが得られる。

待場京子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。ポピュラーサイエンス本や児童書の翻訳を志す英日・仏日翻訳者。映画『れいわ一揆』英語字幕スタッフ。







