vol.11|『第七問』|翻訳の窓から – 書評で読む世界

世界を揺るがす大事件の前後には流れがある。様々な出来事が複雑に絡み合い、偶然にリンクし、将来にまで巻きついて離れない。同じ出来事でも、ある一面は語り継がれ、またある一面は忘れられていく。リチャード・フラナガンは『第七問』(渡辺佐智江訳、白水社)で「わたしたちはだれのことをおぼえていて、だれのことを忘れるのだろうか」と問いながら、自分自身の存在に関わる、ある歴史的事件に向き合い、人の死と共に消えてなくなりそうな記憶をつなげていく。
『第七問』という題は、チェーホフの短編に、数学の問題に見せかけて、まったく関係のない問いを投げる作品があり、その第七問目に由来する。史実と創作が入り混じる構造になっていて、回想録なのか小説なのか、あえてジャンル分けを避けたような書かれ方だ。この作品の中で、タスマニア出身のフラナガンは、イギリスからの入植者によるタスマニア先住民虐殺や帝国主義的差別、広島への原爆投下、戦争捕虜の強制労働といった重い歴史を、ある実在の二人の男の伝記を挿入しながら回想する。
一人はイギリスのSF小説家H・G・ウェルズ。作家レベッカ・ウェストとの愛人関係をきっかけに『解放された世界』を書き、原子力兵器の出現を予測した。もう一人は、この小説を読んで核連鎖反応の可能性を思いついたハンガリーの科学者レオ・シラードで、原子力兵器をナチス・ドイツに先に開発させてはいけないと、アインシュタインを通じて、アメリカ大統領に原子爆弾開発を進言し、マンハッタン計画が誕生した。
フラナガンの父は先住民との混血で、第二次世界大戦中オーストラリア兵として戦って日本軍の捕虜となり、山口県で強制労働をさせられ、息が途絶えそうになっていたときに広島に原爆が投下され命拾いした。そのおかげでこの世に生まれることになった著者は自分にとって原爆投下は良いことだったのかと問いつづけ、渾身の力をこめてこの本を書いた。

新田享子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。国際政治、文芸理論、歴史衣装など縦横無尽にさまざまな分野の書籍を訳す英日翻訳者。kyokonitta.com




