園長先生!気付けば息子も大きくなりました…第59回
保育園開設とコミュニティ
23年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在24歳の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
先頃、東京都目黒区に新設中だった保育園が、地元住民の反対で開園を延期したことを伝えると言う日本の記事を興味深く読みました。少子化にも拘らず保育園不足が叫ばれる昨今、行政にとっていかに子供を市町村に迎え入れ子供達が住みやすい町づくりを約束するかが大切な鍵になっていますので、この記事を見た時には正直驚きました。読んで行くうちに自分の園も含め、色々な事を考えさせられたのです。
多くの待機園児がいる中、開園を期待している人も多く、行政の置かれている立場は私にとってまさに池端ナーサリー開園(託児所からの移転)を目指していた時〜私の場合は日本語教育が出来る保育園を開園〜保護者達の声に答えるべく大きな使命感と焦りもあったに違いありません。子供達はまさに将来を担う金の卵達ですから、それを確保する保育園の開設に反対した日本の住民達に対する非難の声がネット上で多く聞かれました。しかしながら、私は両者どちらの意見もとても良く理解が出来たのです。
それは、よく私の母が「孫達は本当に愛おしいもんだし、けらけら笑って楽しそうにしている姿を見ていたら可愛くてたまらない。でも、泣いたり、わがまま言ってわめいたり叫んだりしてるのを聞くと頭が痛くなるし、もう十分、早く帰っておくれ〜。と思うわ」と言っていた台詞です。全くその通りなのです。楽しそうに遊び、可愛い笑い声を聞くばかりなら良いのでしょうが、当然、子供達はそんな時ばかりではありません。ましてや何十人も数百人も集まれば、その声は慣れない人にとっては〝騒音〟になってしまうでしょう。その上、日本はどこもかしこも高齢化社会なのです。また核家族社会でもあり、高齢者と子供達が普段から触れ合える機会は少なくなって来ているのです。ただ、だからこそコミュニティにとって非常に良いのであって、お互いが必要な存在のはずなのです。
でも反対している皆さんはきっと不安なんです。それは、子供達による騒音だけではありません。園の近所で立ち止まって母親たちがするおしゃべり、そのため子供が野放し状態と言う保護者のマナーの悪さや園児送迎中の自転車事故の心配、また、何よりも先に立地条件が悪いと言う苦情も多々あります。
保育園を開園するにあたって、カナダでは多くの条件をパスしないといけません。例えば、建築規制に則り、保育園は住宅街の真ん真ん中にぽん、っと建設するなんて事は有り得ませんし、園舎建設によって近隣住宅が日陰になってしまうなどは問題外(近隣が近過ぎます)。園庭も、外に出せる園児一人当たりの面積と最大数が決められていますので、子供が園庭に出た時の騒音も規定以内に抑えられると言う訳です。園児数に合わせて駐車場の確保も必須で、車や自転車の近隣迷惑駐車なども考えられません。カナダではこの様な事は行政で規定が設けられていますから、新建設によってこれらの事を心配する必要は全く無いのですが、日本では住民達があえてこのような事も先読みしなければいけないのです。これらをふまえると住民達が保育園建設を躊躇する意味も納得が出来る気がします。皆、自分たちの生活が脅かされるやも知れないと言う不安を抱えているだけで、決して心の狭い頭の固い人達であると言う訳ではないのだと思います。
ここで、私がナーサリーを開園、今に至るまでの日系文化会館との関係を考えてみました。17年前、当時の日系文化会館は英語が主流の日系人の憩いの場であるイメージが大きく、日本語を母国語とする人が利用するのは非常に少なかったのです。しかも、その日系人の文化や交流、イベントなど、その『形』を代々守って来た方がほとんどでしたので、私達の様な移住者中心の団体がいかに日系コミュニティに溶け込んで行けるのか…が、重要かつ不安に思っていた部分でありましたが、それは全くの杞憂でした。
日系文化会館は昔も今も子供達のために柔道ルームやライブラリーを提供してくれたり、豊富なイベントに子供達を招待してくれます。会館に来ているコミュニティの皆さんも、ナーサリーの子供達を見ると笑顔で見守ってくれ、「こんにちは」と日本語で挨拶を交わし合ったりしてくれます。これぞ、私が理想としていたコミュニティの形なのです。
少子化と高齢化問題、これはどの世にも付いて回る重要な課題ですから、日本でも住民(社会)と保育園側が尊重し合い、お互いを受け入れる関係づくりが出来ればきっと色んな問題がクリアできるのだと思います。今となってもこれは十分、私の肝にも銘じておかねばなりません。
池端友佳理ー 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。