園長先生!気付けば息子も大きくなりました…第63回
第六十三回 「Happy wife, happy life」
23年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在24歳の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
9月は私とマークの結婚25周年記念・銀婚式のお祝い、並びに半世紀に達した私の誕生日を兼ねて家族や親戚・友人達が集まってくれて盛大なパーティーを開きました。カナダ在住26年、こんなに多くの方々に支えられ今の私があるのだと、本当の意味での「掛け替えのない財産」に深く深く感謝するばかりです。
思えば、結婚した際は私も英語がほとんど話せない状態でしたので、多くの人から「どうやってコミュニケーションをとるの?」と驚かれ(あきれられ)てばかり。結婚生活も長続きしないだろう、と哀しい事をあからさまに言われたりもしました。そんな私達がよくまぁ、25年もの間、仲良く過ごせて来たものだと我ながら感心します(笑)。
銀婚式のパーティーでは、結婚生活後輩組やこれから結婚組の人達に「長続きの秘訣は?」なんて聞かれたり…。そう聞かれて「私達、結婚生活長いんだー。」と初めて思ったり、秘訣なんてあったのかしら〜?今まで常日頃から2人でいつも一緒にいるのが当たり前の生活だと思って来たので、銀婚式を迎えるのがとても楽しみで、歳を取るのも忘れてワクワクしていましたが、そうか…年月が過ぎていたんだー。と改めて考えてみたりしたのでした。
私達夫婦は自他ともに認めるかかあ天下夫婦なので、マークの忍耐力のおかげだろうとも言われていますが、私はそれだけとは思っていません!(笑)
かと言って、じゃあ、私が善き妻かと言われるととんでもないし、最近日本では心理カウンセラーやトレーナーみたいな人達が夫婦についての教えや心得みたいなのを説いているので興味深く読んでみるものの、なおさらマークに優勢。これはいかん…。
仕方ないので、自分で解析(笑)。ここで、気付いたのです。私達夫婦がずっと、25年今も変わらず、しかもお互いでこうしようね、と言う決めごとを作った訳でもなく、でもずっとお互いのためにし続けていたのは「相手の喜ぶ顔が見たい」と言う単純な事だったのではないかと。秘訣でも何でもなく、全然難しい事でもないんです。喜ぶ顔、と言うよりはビックリさせてやろう、って感じです。プレゼントとかでもないのです。
春前の事です。花が大好きな私は、春になると庭が花だらけになるのが待ち遠しくて、毎年ガーデンセンターにて春の花をたくさん買い、マークと一緒にガーデニングします。ところが、今年は私が腰を傷めてしまい、ガーデニングどころではありませんでした。普通でしたら、私が庭用の花を買わないと動くはずもないマークが、自分の時間を見つけて私の仕事中にガーデンセンターで花を買い、庭のあちこちにデコレーションしてくれました。帰って来てそれを見た私は、これまた腰を抜かしそうになったくらいビックリして大喜びしたのです。
また、逆に、先月の私達のパーティー前後は準備やなんだかんだで大忙し。私達は家に帰ってもクタクタ。キッチンやダイニングも回りも食べたら食べっ放し、テーブルの上で何かしたらその物が置きっぱなし、荒れに荒れて、荒れ放題でした。見るのもイヤなくらいでどんどん深みにはまって行く頃。マークは仕事で、私は時間がぽっかり空いた事があり、それを機会に一斉大掃除をしました。キッチンもダイニングもピカピカ!マークが帰って来たらビックリするぞ〜って、楽しみにして帰りを待っていたのです。帰って来て家の様子を見たとたん、それはそれは大げさにビックリし、喜んで私にお礼を言うマーク。ちょっと満足な私。スゴく単純でバカらしい光景なのですが、これって大事なのかなぁ…と。
世のお母さん方は当然、子供の喜ぶ姿を見るのが楽しみで一生懸命子供のためなら色んな工夫をしますよね。例えば遠足の時のキャラ弁(アニメなどのキャラクターを象り、工夫したお弁当)とか、バースデーケーキなど。単純ですが奥が深い。子供達も同じ。お母さんやお父さんの為に一生懸命何か作り、それを渡す時のワクワク感!あの感覚をずっと持ち続けるる事が出来れば回りは皆ハッピーになれるんですよ!大好きな誰かのために何かをする。そのビックリする顔、喜ぶ顔を思い浮かべただけで自分まで幸せになれますよね。よく“Happy wife, happy life”って言います。でもそれは、やっぱり夫婦だけではなく周りの人みんな同じだと思います。
相手が喜ぶ顔を浮かべて行動出来れば、みんながずっとハッピーで人間関係も長続きなんですよね。
池端友佳理ー 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。