トイレが決め手?!|頑張りましょうその日まで|時代をこえたチャレンジ:子供の言語教育石原牧子ー
高校を卒業し、大学も決まった。聞けばその大学にはフランスの某大学と交換留学の制度があるという。娘も興味を示したので、夏休みのフランス旅行のついでに見学してくることにした。親にとっては25年ぶりだったが、娘は初めてのヨーロッパ。パリでは犬を連れている人、喫煙者の数がやたらに多いのに驚く。観光の最後に目的の大学に行ってみた。そこで娘がトイレに行きたいと言い、一人でトイレを探しに行った。戻ってきた彼女の顔が冴えない。「どうしたの?」「トイレが…汚くて気持ち悪かった。」肩を落としてしょんぼり言ったこの一言。未来の交換留学の夢がいともはかなく終わった瞬間だった。大学の良し悪しはトイレで決まるものと私は思っていないが、やはり若い女性にとって毎日使うトイレは清掃管理ができていて欲しかったのだろう。しかしこの旅行でフランス語を試運転できたことは確かだ。
秋になりいよいよカナダの大学の寮に引っ越しをする日が来た。親としては家から通えるトロントの大学に行って欲しかったのだが、娘はキングストンの大学を選んだ。子供が家から出る。日本だって親元を離れて地方から東京の学校に来る学生は多いし、都会を離れて地方の大学へ行く子も多い。子離れする時がきたのだ。子供が一旦家を出たら社会に出てもトロントの家には戻らないだろうと覚悟した。そしてそのようになった。さて、日本語の行方は?
大学一年は一般教養科目を取らされるが、選択科目の中に日本語があり娘はそれを進んで取った。私は内心大喜び。クラス分けではアドバンストのクラスに入れられ、結構日本語を楽しんでもいたようだ。スピーチコンテストに出るように薦められ、オタワの日本大使館で他の学生たちと一緒に日本語で競い合った。題は『私のお祖父さん』。この時すでに父は他界していたのでスピーチはその弔いだったのだとか。遡るが、父の葬儀の時、大学ではちょうど期末試験の時期に差し掛かるところだった。大学を休んで日本に来たいという娘を制して試験を受けるように促したのは私なので、今でもこのことに関して私は悪者になっている。あの時葬式に来させた方が良かったのかどうか未だにわからない。父本人は何というだろうか。
当時、国際交流基金(The Japan Foundation)で各国のスピーチコンテストで優勝した若者たちを集めて夏休みに関西でホームステイさせるというプログラムがあり娘もカナダから参加した。標準語とは違う関西独特の文化に世界中から若者たちが飛び込んできた。なぜ関西なのかは国際交流基金のセンターが関西にもあったかららしい。ここで娘が体験したのは肌の違いによる日本での差別待遇やアメリカ人学生の自国中心の世界観、漢字オタクのフランス人が莫大な量の漢字を理解していて娘を驚かせたことなど。ホームステイは家事も手伝わされたようで関西弁で指示されながら生活していたのかと思うと私の顔がほころびる。こうして大学で日本語を選択したことにより娘は思わぬ体験ができたわけだ。大学を選ぶなら日本語のオプションがあるところがいいかもしれない。単位がとりやすいし思わぬ体験につながることも。
前述の通り、フランスへ交換留学する話はあっけなく消えた。その代わり3年生になった夏、三鷹にある国際基督教大学(ICU)で日本語サマーコースを取ることになった。クラス分けでは初め中級レベルに入ったがやさし過ぎたため、上級に移動した。しかし中級とは大きな差があり、娘は必死で宿題をやっていたのを一時帰国していた私も教材を見ていたので思い出す。短期間で文化、歴史、社会、経済、政治など多角的に日本という国を学ばせるチャレンジングで有意義なプログラムだと思う。娘の話ではこのクラスは海外生まれの日本人子弟が多かったという。今もあるので日本語や日本をさらに学習したい人には超おすすめだ。

                                                                    




