【カナダで見つけた縁】ボランティアが導いた福祉の仕事と結婚 新家 靖(しんや おさむ)さん 愛媛県松山市出身/カナダ歴:25年|私のターニングポイント第45回

カナダ歴:25年
愛媛県松山市出身。専門学校卒業後に介護福祉士として障がい者支援施設で働き、2000年にワーキングホリデーで来加した。翌年からは、知的障がいを持つ人々と支援者が共に生活する「ラルシュ共同体」で活動をスタート。住み込みアシスタントを経て、現在はディプログラムで勤務している。
英語がまったくわからなかったカナダ生活のはじまりも、怖いもの知らずで積極的に外に飛び出し、人とのつながりを築くことで乗り越えてきた。24年間続けてきた福祉の現場での歩みは、数字や成果ではなく、利用者の笑顔や感謝の言葉が自分を支え続ける原動力となっている。
カナダで見つけた第二の人生
2000年7月、ワーキングホリデーでカナダにやって来ました。地元の高校と専門学校を卒業後、介護福祉士として働いていましたが、初めての一人暮らしがまさかのカナダ。専門学校時代に研修旅行で訪れたハミルトン市での体験が忘れられず、「もう一度カナダに戻りたい」という思いが強くなったのです。壮大な自然や人々の優しさに触れたあの経験がなければ、今の自分はいなかったでしょう。
カナダに来てからは語学学校、ホームステイを経てトロントへ。日本食レストランで働くかたわら、日系老人介護施設で週3回のボランティア活動を続けました。ボランティアを通じて出会った人のつながりから、今の仕事や仲間へと道が広がっていきました。日本でもカナダでも、ボランティアが私の人生を支えてきたことは間違いありません。お金では得られない経験や出会いがあり、人に喜ばれて笑顔をもらえる。それが自分を初心に戻し、気持ちをチャージしてくれるんです。今でもJCCCで時間のあるときにボランティアを続けています。
そしてもうひとつの大きな転機は、40代後半での結婚と子どもの誕生です。15年以上の紆余曲折を経て、職場で出会った妻と昨年入籍。ポーランド出身の彼女と移民同士の生活は楽しいことばかりではなく、頼れる家族が近くにいない現実や、国際結婚ならではの大変さもあります。それでも子どもが生まれ、家族として歩む日々はかけがえのない喜びです。
また、JCBLの野球チームに参加できたことも私にとって大きなご縁でした。高校時代に野球を途中でやめた悔いを、まさかカナダで晴らせるとは思いませんでした。仲間や先輩に恵まれ、監督を務める今は日本から来る若者たちから学ぶことも多い。体の続く限り野球を続けたいと思っています。
振り返ると、ボランティアから始まった出会いが、仕事につながり、妻との出会いにつながり、そして今の生活へとつながっています。私の人生にとってボランティアは「切っても切り離せない存在」なのです。
努力と達成感が育んだ自信
カナダに来たばかりの頃、英語なんてまったく理解できないのに、毎日一度は知らない人に話しかけていました。バス停でもお店でも、とにかく声をかけてみる。週末にはホストファミリーの息子と一緒に飲みに行ったりクラブに出かけたり、彼がいないときでもひとりで行っていました。怖いもの知らずの行動力と、言葉以外のコミュニケーション力、誰とでも打ち解けられる適応力が、当時の自分の最大の武器だったと思います。英語力の不足を、とにかく外に出て人と関わることで補っていました。
今の私を支えているのは、こうした経験と、そして日本での介護現場で培ったハードな仕事の経験です。5分座ることも許されない環境、夜勤明けに別の仕事をして気づけば24時間以上働いていたこともありました。無給の時間も多かったし、上司から文句を言われることもありましたが、性格が図太いのであまり気にせず、その時間を利用者さんのために使おうと心がけていました。
現在の福祉の仕事でも、相手が言葉で意思を伝えるのが難しい場合があります。だからこそ、表情や仕草、声のトーンや雰囲気など、言葉以外のサインを全力で読み取り、持てる力をフルに使って向き合うようにしています。
福祉の仕事は数字や売り上げでは評価されません。給料も決して高くはない。それでも24年間続けてこられたのは、利用者さんの笑顔や感謝の言葉という「見返り」があるからです。その瞬間こそが、この仕事の本質であり、私にとっての達成感であり、自分を前に進める大きな力になっています。
■ 将来の夢
40代後半で初めて結婚して、2024年3月に生まれた娘のために、健康で長生きしたいです。一緒にたくさんの時間を過ごして、思い出をいっぱい作りたい。痩せて、かっこいい父親にもなりたいですね。娘の結婚式にも出たいし、できれば孫の顔も見たいです。
そして、僕が監督している野球チーム「YUSEI DRAGONS」(JCBL所属)で、念願の初優勝を果たして胴上げされたい。これも大きな夢です。
■ いまの自分に点数をつけるとしたら?
50点
人生が終わるまでに少しでも100点に近づくことができたらいいですね。
■ 学生時代のエピソード
高校は入学が簡単なおバカ学校でした(今は昔に比べて少し偏差値は上がっています!)。野球部をすぐに辞めて担任にそそのかされて顧問を務めるブラスバンド部へ。毎日バイト三昧でしたが、皆勤賞で卒業式の代表に。
その後は短大受験に落ち、ローソン弁当工場で働くも閉鎖に。保育士を諦め、母の勧めで介護福祉士養成校を受験。補欠で入れず、紹介された田舎の学校に入学しました。そこが思いがけない人生の分岐点。
専門学校時代は最高に楽しく、勉強よりバイトやボランティア、仲間と遊ぶ日々。そして運命を変えたのがカナダ研修旅行。母に背中を押され参加したその体験が、今の私につながっています。
■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?
もし結婚してなくて子どももいなかったら…20歳前後の専門学校時代が一番楽しくて充実してたんです。学校にバイトにボランティア、毎日が濃かったですね。カナダ研修旅行に行ったとしても夢のような思い出で終わって、結局は地元に就職して、両親の近くに住みながら松山市内からも出ずに、地域に根付いた“地元のおっちゃん”になっていたと思います。
-好きな本: 『宇宙のリズムで暮らしたい』吉丸房江、『「絆」冬は必ず春となる』岩隈久志、『娘心にブルースを』原由子
-尊敬する人:桑田佳祐、明石家さんま
-感謝している人と一言メッセージ:昨年10月末に亡くなった父親(父が元気な時に言えなかったので)。俺も結婚して、父親になったんよ。すごいやろ!!子供もできたよ。女の子よ。おとうの孫やで。かわいいやろ?すくすく大きくなってるで!!50歳手前やけど、息子ぐらい年の離れた子たちと下手やけどまだ野球やりよるで!!あっちの世界でみんなに迷惑かけられんよ。ありがとな。みんなを見守ってや。大好きやで!!(伊予弁)
-カナダの好きなところ:
人の目が気にならない。どんな格好をしていても、どんな髪形をしても誰にも何も言われない。