特別寄稿 東北の小さな酒蔵の復興にかける熱い想い 第22回
昨日盛大なにぎわいをみせた日本酒フェスティバル、Kampai Toronto vol2。
このイベントに参加した岩手県、南部美人の蔵は3.11東日本大震災で被災した蔵のひとつだ。南部美人の5代目である久慈氏は震災直後から日本酒を通じて地域復興に様々な取り組みを行ってきた。TORJAでは久慈氏が体験したこと、復興に向けての取り組みなどを寄稿してもらった。
前回からの続きになります。東日本大震災で大きな被害を受けた蔵元の震災当時の状況と、今現在どのような復興を遂げているかお話をさせていただいておりますが、前回書きました、福島第一原発のすぐ側で浪江町で酒造りをしていた「磐城壽」の蔵元の鈴木大介君は、九死に一生を得て、なんとか家族と従業員全員で逃げることができました。しかし、行く当てが全くありません。その時、同じ東京農大醸造学科の同級生で、山形県の「雅山流」蔵元の新藤君から大介に電話がつながりました。新藤は大介が九死に一生を得たこと、そしてこれからどうしていいかわからない状態を心配し、すぐに自分の地元である山形県の米沢市に来るように言いました。福島県内は福島第一原発のパニックでどうにもならない状態だったので、一度福島を出て被害の比較的軽かった山形に避難しました。
新藤はすぐにホテルと大介の祖母が心臓疾患があるということで、循環器系のある病院を紹介、とりあえず大介は日常生活を送れるようになりました。
しかし、大介はどうしても酒造りをあきらめられません。故郷の浪江町は帰宅困難区域で一切生活もできませんし、許可なしで入ることができない地域になってしまいました。
このままでは一生酒造りができない。息子の代まで何もしないわけにはいかない、ということで、同じく福島県の奥会津地方にある「國権」の蔵元の細井専務に相談し、なんと國権の蔵の一部を借りて、酒造りを限定的に始めることができました。
さらに驚いたことに、津波ですべて流されてしまった大介の蔵では、酒造りの道具も、蔵に住み着いていた微生物もすべて流されてしまい、前と同じ磐城壽は造ることができないと誰もが思っていた時に、奇跡が起こります。なんと震災直前に会津若松にある福島県の醸造試験所に磐城壽の「酒母」を研究のために預けていたことが判明。この酒母がまだ生きているということで、そこから酵母を培養し、見事に磐城壽の味の原型を守り抜きました。その酵母を使い、國権さんで酒造りをして、何とか磐城壽の歴史は継続されました。
しかし、ほかの蔵の間借りでは最終的に迷惑をかけてしまうことと、酒造免許の関係上どうしても長くこの状態を維持できないことから、山形県酒造組合の皆さんが大介のために動き、なんと廃業したばかりの蔵を使って磐城壽を造れるように免許などの緩和の申請などを手伝い、福島県のお酒を山形県の蔵の免許で造る、という前代未聞のプロジェクトが動き始め、税務署でも許可され、とうとう大介は山形県で福島県浪江町の住所を書いた「磐城壽」を本格的につくることができるようになりました。
大介のあきらめない想いと、同級生の新藤の手助け、そして山形の蔵元の皆さんの絶大なる協力と税務署の心の広さすべてに助けられ、今大介は山形で磐城寿醸しています。
しかし大介はまだまだ諦めません。いつの日か、息子の代になるか、孫の代になるかわかりませんが、必ず浪江町に戻り、本来の「磐城壽」をつくる、と心に誓っています。
すべては福島第一原発の終息と、放射能の除去が早く進まなければ、この大介の夢はかないません。
いつの日か、元通りに磐城寿が浪江町で醸される未来を私も同級生の一人として願うばかりです。
“がんばれ!磐城寿!! 負けるな!大介!!
俺たち同級生がついているぞ!”
オンタリオ取扱い代理店:
Ozawa Canada Inc
現在トロントで楽しめる南部美人のお酒は、「南部美人純米吟醸」とJALのファーストクラスで機内酒としても採用されている、「南部美人純米大吟醸」の二種。数多くの日本食レストランで賞味することが可能。
南部美人
http://www.nanbubijin.co.jp
東京農業大学客員教授
久慈 浩介