特別寄稿 東北の小さな酒蔵の復興にかける熱い想い 第25回
昨日盛大なにぎわいをみせた日本酒フェスティバル、Kampai Toronto vol3。
このイベントに参加した岩手県、南部美人の蔵は3.11東日本大震災で被災した蔵のひとつだ。南部美人の5代目である久慈氏は震災直後から日本酒を通じて地域復興に様々な取り組みを行ってきた。TORJAでは久慈氏が体験したこと、復興に向けての取り組みなどを寄稿してもらった。
東日本大震災では、東北の沿岸部被災地を中心に、大量の「がれき」がうまれました。「がれき」は住んでいた家や、学校などの公共の建物、道路をはじめとする人々が3月11日まで生活していたそのものなのですが、津波により、それらはすべて「がれき」と変わってしまいました。
震災後、しばらくはこのがれきの処理が大きな仕事の一つで、がれきをかき分け車が通る道をつくり、かき分けて集められたがれきは山のように積み上げられました。
このがれきを焼却処分しなければいつまでたっても被災地の復興はありえなく、がれきを片付けて、そこから盛り土や堤防づくり、そして区画整備をして人々が住む家が建ち、商店が出来、公共施設が出来てきます。
つまり、がれきの処理が終わらなければ何も始まらない、というのが復興のスタートでした。しかし、このがれきの処理は、国中を大きな議論に巻き込みます。
岩手のがれきは、岩手県内の焼却施設だけで処理した場合は何十年も処理にかかってしまう量で、とても県内だけでは処理しきれません。そうなると、ほかの県で処理を助けてもらわなければいけなく、その際に一番最初に手を挙げてくれたのが東京都でした。それに続いて大阪など様々な全国の都市ががれき処理の手伝ってくれることになったのですが、ここで大きな問題が起きました。それが、被災地のがれきを持ってきて処理をすることに反対する住民が出てきたことです。東京でもそうですが、がれきには放射線物質が含まれているのではないか、という懸念からです。岩手県としてもがれきを他県で処理してもらうためには放射線物質の検査を必ずして、基準値以下のものしか出さないルールを決めていましたが、どうしても自分の住むところにがれきを持ってきてほしくないと、がれき処理反対運動が善意で受け入れを表明した東京や大阪をはじめ、様々なところで起きます。
これには私たちも心を痛めました。お願いしている立場上、文句も言えませんし、しかし、手伝ってもらわなければいつまでたっても沿岸部の復興はありえない。このはざまで私も随分と悩みました。しかし、各自治体の首長の強いリーダーシップと、放射線量の検査がしっかりしていたこともあり、このがれき受け入れ反対運動は時とともに少なくなってきました。
そんな中、2014年4月には、数10年かからなければ処理できないといわれていた福島県以外のがれきが全量処理終了しました。12道県の皆様のお力を借りて、何とか被災地からがれきが消えました。
福島だけは国の管理下の中で処理しているので、まだまだがれきがありますが、いよいよ沿岸部は2014年から本格的な復興に入っています。盛り土も盛んに行われ、少しずつですが復興の色が見えてきています。何よりも、震災直後に絶望したあのがれきの山が一切ない光景は、まさに希望の光ともいえます。
がれきの処理が終わった今から本当の復興が始まります。
オンタリオ取扱い代理店:
Ozawa Canada Inc
現在トロントで楽しめる南部美人のお酒は、「南部美人純米吟醸」とJALのファーストクラスで機内酒としても採用されている、「南部美人純米大吟醸」の二種。数多くの日本食レストランで賞味することが可能。
南部美人
http://www.nanbubijin.co.jp
東京農業大学客員教授
久慈 浩介