金継ぎされた器の価値②|金継ぎ開拓民のお茶休憩
5ドルで買った器を、数百ドルかけて金継ぎで直す──。このような選択をすることが、本当にあるのでしょうか?
前回のコラムでは、アンティーク・アート市場における金継ぎの価値についてお話しました。今回は、金銭では測れない、「愛着」という価値に目を向けてみたいと思います。
たとえば、なんとなく気に入って手に取った量産品のマグカップ。毎日のようにお茶やコーヒーを淹れて飲み、洗うことを繰り返すうちに、それらが無意識の中のルーティンに組み込まれて、いつの間にか自分の生活の一部のような存在となります。
それが壊れてしまったとき、とても悲しく思うでしょう。お店に行けば、また買い直すことはできるかもしれません。しかし、毎日のように唇を付けて同じ日々を過ごしていたその器は、紛れもなくこの壊れてしまった器にほかならず、替えはきかないのです。
そんな器と「もっと一緒にいられたら」と願うとき、金継ぎという選択肢が浮かび上がってきます。そして、金継ぎに出された器たちは、例外なく、その人にしか生み出し得ない価値をまとって戻ってくるのです。
量産品には、同じ型、同じ色、同じ釉薬で作られた“兄弟”がたくさん存在します。けれど、世に送り出されたそれらは、多くが欠けたり、割れたり、忘れ去られたりして姿を消していきます。数十万個の規模で販売されて、10年後にも使われ続けている器がどれだけあるでしょう。
しかしながら、金継ぎすることを選ばれた器は、最早量産品ではありません。持ち主との思い出と唯一無二のアートを纏って、またこの先何十年も大切に使われ続けていくことになります。そして、このように「愛着」から生み出された器は、どのような歴史ある窯や高級ブランドにも真似することはできず、いかなる市場価値でも測ることができない、特別な器となるのです。






