伝統の道を拓く⑧ 《 金継ぎの価値を左右する正統性 下》|金継ぎ開拓民のお茶休憩
また、化学接着剤と金色の粉を用いた工作を金継ぎだと言って紹介したところで、そのコンセプトは日本文化の文脈においても海外で象徴化された金継ぎの文脈においても沿うものではありません。
海外において、金継ぎは人生と重ね合わせて語られることがあります。代表的なものは、困難を乗り越えるレジリエンスやヒーリングの象徴という文脈です。しかし、折れた骨がすぐ癒合しないように、しなやかな回復や癒やしも、一日で即座に得られるものではありません。
また、不完全性の受容という文脈で語られることもありますが、これもまたスイッチの切替えのように即座に行われるものではないはずです。不完全性をインスタントに装飾して終わるのではなく、不完全性を受け入れる過程と時間と向き合うからこそ、その後も長く付き合っていけるようになるのです。
精神から正統性を貫けば、自ずと技法も正統な技法になるものです。
私は、ファストカルチャーに流されない、日本独自の軸を提示し続けることが、その他の日本文化の精神性への理解も深め、結果的に金継ぎの価値と伝統産業を守ることに繋がると考えています。
もし金継ぎを人生と重ね合わせたいのであれば、「華々しい回復」を切り取って消費するのではなく、その背後にある精神と工程にこそ着目するべきではないでしょうか。
「金継ぎはドラマティックな回復劇ではなく、新たな変化を受け入れ、新たな調和を見出すための地道で忍耐強い取り組みそのものである」という事実こそ、日本人が世界で金継ぎを行う上で伝えるべきメッセージであると信じています。
最後に、カナダの偉大なピアニストの言葉を引用しましょう。
“ 芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある ”
—グレン・グールド







